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自己紹介(斉藤千春)など


名前 斉藤千春(さいとうちはる)
生年月日 某年4月21日  東京オリンピックのあたりに生まれました。
住所 東京都千代田区
長い間、東京タワーを眺めながら暮らしていましたが、皇居を眺めて暮らすことになりました。都心にあって、若くて独身だったら、さぞかし楽しい街だと思いますが、子持ちの主婦にとっては、大型スーバーもなく、夜遊びができる訳でもなく、あまりメリットはありません。たまにママたちの夜の保護者会(飲み会)がある時には、お店に事欠きませんが。
出身地 山梨県増穂町
あまり人が歩いていないようなのどかな田舎町にあって、我が家は更に山の中にありました。小学校まで片道6kmの道のりを1時間半かけて歩いて通いました。ついつい友達と遊びすぎて、冬など街灯もない暗い道を泣きながら帰ったものです。今では、その集落には誰も住んでいませんが、Google Earthで調べたら、家があった場所に、かすかに建物の痕跡がありました。
趣味 もちろん手芸、特にソーイング、他にはスキー、テニス、食べること、寝ること、ニュース番組を見ること。
子供の頃から手芸が大好きでした。母は、雑巾を縫うのがやっとなほど不器用でしたが、私はl家にあった足踏みミシンに糸を通しては遊んでました。誰に教わることもなく、本を頼りに、ぬいぐるみを作ったり、スカートを作ったりしました。
小学生の頃、編み物をはじめたくて、ヴォーグ社の雑誌に載っていた編み針セットにうっとり。親に黙って通信販売で注文しました。小さかった私には、支払い能力がなく、再三の督促状を無視し何年も支払いできませんでした。支払いも済んでいないので使うこともできず押し入れにしまってありました。ある時、親に見つかり「どうせ使わないから!」と言って、送り返されてしまいました。それから、お年玉で少しずつ編み針や毛糸を買いそろえ、自己流で編み物をマスターしました。子供心に、高額なものならともかく、本当にやりたい気持ちを踏みにじって、親には、絶対にセーターは編んであげないと心に誓ったものです。
もう人生も半ばですが、子供の時から好きなことは、変わらないものですね。きっと一生変わらないでしょう。手は第二の脳と言われます。第一の脳の発達は今一つでしたが、第二の脳は、比較的発達したかなと慰めつつ。
家族 夫一人と子供二人
少々メタボ気味の夫と、子供は、青春まっただ中の女の子、プロサッカー選手を本気で夢見る小学生の男の子がいます。
パソコン大好き 昔、パソコンも使えないのに、ある大手プロバイダに雇って頂きました。毎日、パソコンを目の前に、ひとつつまずいては、「これ、どうするの?」と、隣の若いお兄ちゃんをつかまえては教えてもらいました。今は、子育てのため退職しましたが、あの頃教えてもらったパソコン知識には非常に感謝しています。決して難しいものではなく、慣れてしまえば、炊飯器やミシンのような家電と同じ、でも、楽しさや可能性は、計り知れないものがありますよね。 先日、日経新聞に1980年代の若者のもっとも興味があったものは車だったが、今では15位にまで落ち、パソコンが一番だという記事が載っていました。私って、「若者みたい?」と一人にやけています。
親指シフト もう、遥か昔になりますが、新卒で富士通に入社した頃は、ワープロ全盛期で、オアシスという製品を使っていました。オアシスには、親指シフトキーボードがついていて、ひとつのキーにひらがながふたつ割り振られ3列にまとまっています。詳しいことは、別途調べて頂くとして、日本語を入力するにあたって、もっとも早い入力方法であることは間違いありません。慣れるとしゃべるのと同じ速さで入力できますから、しゃべるキーボードだと言って、マスコミにずいぶん取り上げられました。しかし、根強いファンは少なくないものの、あまり世の中に広く普及しませんでした。
2005年、ウォール・ストリート・ジャーナル「世界の最も注目すべき女性50人」に選ばれた経済評論家の「勝間和代さん」という方をご存じでしょうか。目的達成のために無駄を徹底的に排除するというのが信条らしいですが、「日本語入力は、親指シフトに限る。」とテレビ番組で話していらっしゃいました。「う〜ん、やはりあなたは素晴らしい!! 真実を知っている。」と叫んでしまいました。
映画 「風と共に去りぬ」14歳か、15歳の頃、初めてこの映画を見て、「人生とは自分の力で切り開くものなんだ〜。」と田舎娘は単純に感化されたのでした。とにかく非常に感動し、その後大きく影響を受けた気がします。娘がもう少しで同じくらいの年になるので、絶対に見せてあげたいと思います。

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